豊かに暮らすひと

植物の力を感じながら、一日一日を全力で生きる。<2/5>
壱岐ゆかりさん THE LITTLE SHOP OF FLOWERSオーナー

原宿駅の近く、木々が茂る一軒家の軒先に、壱岐ゆかりさんがオーナーを務める「THE LITTLE SHOP OF FLOWERS」はあります。店頭にはニュアンスある色味の花が並び、枯れる過程も楽しめるブーケなど新しい花のかたちを提案しています。日本と海外を繋いでPRをする爆速の人生から一転、出張先で出会った自己流の花屋に触発されて、現在は植物に囲まれた暮らしを送る壱岐さんにお話を聞きました。

仕事関係が終わっても、友だちと思ってもらえる人間性が欲しい

— PR業と花屋は、ずいぶん業種が違いますが、PRから転向するきっかけがあったのですか?

インテリアショップ時代は、自分たちでつくったものは自社でPRすることが当たり前だと思っていました。外部ではなく、ものづくりにはじめから関わっている人が最終的に自分たちでPRをするほうが自然だと思っていたので、最初は私がお手伝いさせてもらったとしても、そのうちブランド内でPRをするようになっていくのが世の中の術というか、物事の道理なのだろうなと思っていました。まあ、私にくる依頼を突き返す勇気は無かったのですが(笑)。

私は、仕事関係が終わっても切れずに友だちだと思ってもらえるような人間性が欲しいと思っていました。私の感性を好きになってくれて仕事をもらって、契約が切れても友だちでいられる人間になりたいなと。自分探しの始まりですね。
 
アメリカでの運命的な出会い。「引き立て役」のまま、花屋をやりたい



PR業のみをする仕事に違和感が出てきたころ、出張先で自分探しの落としどころを見つける


— そこから2010年に「THE LITTLE SHOP OF FLOWERS」をスタートするまでに、どんな出来事があったのですか?

あるとき、出張先のニューヨークのジーンズ屋さんの一角にある小さなお花屋さんを見ました。今では当たり前ですが、アパレル店やセレクトショップの中に花屋が存在することが斬新だなと思いました。ドライフワラーの中に生花が置いてあるのが不思議で聞いてみたら、余裕があるときは生花もやっていると。なんだ、そのワガママな店は! と思ったのですが、気張らないでやっている感じが好ましくて。「私が花を売っています」「私の表現を見て」という主張ではなく、ジーンズ屋を引き立てる役回りのようなお店でした。

私はずっとPRとして引き立て役をやってきたから、メインに立つというより引き立て業で何かやりたいと思っていた矢先だったので、これだ! と思って。思いついたら突っ走るタイプだから、ニューヨークから帰ってきてすぐに、「私は花屋をやろうと思う」と周りに言っていました。それから半年後に「THE LITTLE SHOP OF FLOWERS」をオープンしました。

— 思い立って6ヶ月でオープンとは、すごい行動力ですね。

絶対に花屋をやりたかったんです。偶然、代々木上原にある知り合いのお店の横に5〜6畳の倉庫スペースがあって、家賃が安かったので、そこを借りました。
当時、時間がたっぷりあった私には、自分探しをする場所として集中できる場所でもあり、よかれとおもってお客さんを扮して遊びにきてくれる友だちと会える場所でもありました。もともと模様替えが好きなので、部屋ではなくお店を変える感覚で、表現の場として考えていました。当初、お店として運営できていたのは、知り合いのおかげです。
 
— 代々木上原の倉庫スペースでオープンしていたころに、ユナイテッドアローズが運営する「BEAUTY&YOUTH」へも出店されましたね?
 
「BEAUTY&YOUTH」への出店も、ディレクターさんがお店を気に入ってくれて、オープンするときに誘ってくれました。おかげさまで、週末しかやっていないのに早い段階で多くの人にお店を知ってもらえました。

色彩に溢れた代々木上原時代の「THE LITTLE SHOP OF FLOWERS」。大好きな「魔女の宅急便」に出てくる、溢れそうな植物たちの中に家具が置いてあるキキのママのお部屋をイメージしてつくったそう。(写真提供:THE LITTLE SHOP OF FLOWERS)


— 花屋だけでやっていこうと決めた経緯を教えてください。
 
子どもが生まれて母親になって、PR業・花屋・母親業と仕事が3つになったからです。生後1年半まではやっていたのですが、ちょっと無理がありました。ちょうどPRを担当していたブランドが直営店を出して自社でPRする人が出来たので、いい節目でもあるなと思い切って花屋とお母さん業になりました。
 
— 仕事に対するスタンスは変わりましたか?
 
人間が変わったと言われるくらいに変わりました。年齢もあるのでしょうが、「こうじゃなきゃ嫌だ」「出来ないなら私がやる」という完璧主義ではなくなりました。出来ないと言えることで、出来ることがいろいろあるし、うまく回ることがあるということに気がつきました。それまでは、全部私がやると言いすぎて、回っていない部分もあったんです。