龍円あいりさんインタビューともに生き、ともに働くとはどういうことか。日本初「インクルーシブ公園」からあるべき共生社会を問う|シェアする暮らし

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龍円あいりさんインタビュー
ともに生き、ともに働くとはどういうことか。
日本初「インクルーシブ公園」からあるべき共生社会を問う

目 次
  1. 1母となって帰国し、直面した日本の公園の「寂れ感」
  2. 2「排除しない」ではなく、積極的な意味で「ともに遊ぶ」
  3. 3いろいろな子がいることを子どもたち自身が自然と学べる
  4. 4インクルーシブな社会は、みんなにとって生きやすい社会

場のプロデューサー・横石崇の『しごとば探訪』。連載4回目に訪れたのは、東京都世田谷区の砧公園内に日本初のインクルーシブ公園としてオープンした「みんなのひろば」です。障害の有無に関係なく「みんな」が一緒になって遊べる場として作られたこの公園。実現に向け奔走した都議会議員・龍円あいりさんのお話から、真にインクルーシブな社会とはなにかを考えます。―この記事は、働くと暮らすが同居するさまざまな空間を訪問することで、これからのオフィスづくりや新しい働き方のヒントを探るコラムです。

東京都世田谷区の砧公園内に2020年3月、日本初のインクルーシブ公園として「みんなのひろば」はオープンしました。インクルーシブ公園とは、障害のある子どもでも安全に遊べる遊具や配慮があり、文字通り「みんな」が一緒になって遊べるような公園のこと。東京都議会議員で、自身もダウン症候群の息子を育てる母親である、龍円あいりさんの働きかけがきっかけとなって作られました。

最近になってここ日本でも「ダイバーシティ&インクルージョン」という言葉を耳にする機会が増えています。けれども、ぼくらはその意味するところを本当に理解していると言えるのでしょうか。少なくとも、オフィスをバリアフリーにデザインし直し、管理職の女性比率を上げ、障害者を一定数雇用すれば万事OK……という話ではないように思えます。

真にインクルーシブであるとはどういうことなのか、インクルーシブな社会やオフィスについて、ぼくらはどう考えればいいのか、海外での暮らしも長い龍円さんに詳しく伺いました。

母となって帰国し、直面した日本の公園の「寂れ感」

龍円あいりさんインタビュー

横石 ぼくはこれまでインクルーシブ公園という言葉を聞いたことがなかったんですが、これはどういったものなんですか?

龍円さん 実は、インクルーシブ公園という言葉は、私がいまの活動を続けていく中でつくった造語なんです。活動を始めたきっかけは、アメリカ・カリフォルニア州で出産したこと。子どもにダウン症があり、私はスペシャルニーズのある子どもの親になりました。

横石 アメリカではどの辺りで暮らしていたのでしょうか?

龍円さん オレンジカウンティという、ロサンゼルスのすぐ南の、海岸沿いのサーフタウンに住んでいました。本当に小さな町だったんですが、家の近くで遊んでいた公園が偶然にもインクルーシブ公園で。でも、公園に行くと特に「インクルーシブ公園です」と謳っているわけではなくて、ごく普通にインクルーシブな公園という感じでした。

横石 町に馴染んでいるというか。

龍円さん そう。あえて大々的に謳うまでもない。Webサイトには一応その旨が書いてあるんですが、公園自体はごくごく普通にある。私は子どもが生まれたのをきっかけに、障害のある子どもの幼児教育の先生になるための授業に通い始めて、そこでインクルーシブな遊び場があることを学びました。「へー」と思って調べてみたら、なんといつも遊んでいる公園が、そのインクルーシブ公園だったという。そういう目線であらためて見てみると、たしかにさまざまな工夫が施されていた。

アメリカでそういう体験をしていたので、その後、子どもが2歳の時に帰国して、子どもがいる状態で初めて日本の公園を見たら、「あれ? 日本の公園ってこんなに寂れていたっけ?」みたいに感じてしまって。インクルーシブでないことよりも、その寂れ感にびっくりしました。「子どもたちの遊び場にこんなにお金をかけない国だったのか」と。

横石 「寂れ感」というのは、例えばどういうことですか?

龍円さん 固い土の上に塗装がはげた遊具がポツンと置いてあって、児童公園という名前はついているけれど、遊んでいる子どもは全然いない。近くにハトとタバコを吸ってる大人だけがいる、というような。アメリカに行く前はそれが日本の公園の姿としてごく自然に映っていたんですけど、アメリカの公園を見て帰ってきた後は、寂れた場末の公園にしか見えなくなっていました。ですから、インクルーシブどうこうの前に「日本の公園をもうちょっと良くしたい」という思いがまずありました。

さらに、スペシャルニーズのある息子を遊ばせようとすると、まず歩けないから、地面が土だと這いずるだけで服がボロボロに汚れてしまう。階段が急だったりして安全性も確保されていないので、落ちると怪我をする危険もある。親としてはハラハラドキドキしながら遊ばせるので、子ども以上にぐったりと疲れてしまうんです。

龍円あいりさんインタビュー

横石 子どもは無邪気に遊びたい思いが先行しますよね。意外と公園の中には危ないものもあったりしますから、親は心配です。

龍円さん ほかの子どもとの関係でも、少し体幹が弱かったりするから、ちょっとぶつかると落下する危険があり、いつでも受け止められるように後ろをくっついて歩く必要があって。インクルーシブな視点がないな、と。本来はいろいろな子どもたちがいるはずなのに、日本の公園にはスペシャルニーズのある子どもたちが遊んでいない。なので、都議会議員になる時に「インクルーシブな社会を実現したい」ということを一番に思ったのですが、その中の公約の一つとしてインクルーシブ公園というものを挙げさせてもらいました。

龍円あいりさんインタビュー

「排除しない」ではなく、積極的な意味で「ともに遊ぶ」

龍円さん アメリカでは「インクルーシブ・プレイグラウンド」という言い方をするんです。直訳すれば「インクルーシブな遊び場」。ただ、日本にそういう公園が存在していない中で「インクルーシブな遊び場」と言っても長くて説明的なので、あまり響かないし、印象に残らないと思いました。それで、もうちょっとうまく伝わる言葉はないかなと考え始めて、最初に考案したのが「ユニバーサル公園」でした。

横石 ぼくもすぐにそれを思いつきました。

龍円さん でも、ユニバーサルとインクルーシブの意味はまったく一緒ではないんですよ。私が目指しているのはインクルーシブであってユニバーサルではないんです。となると、やはりインクルーシブは残して……と思ったところから、仮で「インクルーシブ公園」と呼び始めました。いまでは皆さんにも使ってもらえるようになってきているので、結果的に良かったかなと思っています。

横石 なるほど、元々は仮称だったんですね。ところで、いま「ユニバーサルとインクルーシブは違う」とおっしゃいましたが、それはどういうところですか?

龍円さん ユニバーサルの大きな円の中にインクルーシブの円があるイメージです。ユニバーサルは「誰もが使えるよ」「誰も排除しませんよ」という感じで、バリアフリーに近い。インクルーシブはそこに「みんな仲間だよ」といったニュアンスが加わります。「誰もが使えるよ」ではなく「みんなが一緒に使えるよ」。ユニバーサルよりもう少し積極的な意味で「ともに遊ぶ」というニュアンスがあるのかな、と。

同じ公園の中だったとしても「こっちは障害児の遊具、こっちは健常児の遊具」と分けてしまっては、一緒に遊べていることにはならない。公園自体はユニバーサルデザインかもしれないけれど、一緒に遊ぶ、仲間になるというところには至らない。同じ遊具の中、同じスペースの中で隣り合って一緒に遊べることがインクルーシブなんです。

横石 インクルーシブは「包括的」と訳されたりしますが、いまいち理解がしづらいところがある。でも、そうやって聞くと積極的で、とても前向きさのある言葉なんですね。

龍円さん 日本ではどうもインクルーシブという言葉が間違えて使われているように思います。「健常と呼ばれる人たちの社会の中に障害のある人たちを混ぜてあげる」「それまで排除されてきた人たちを入れてあげる」みたいな話になりがちじゃないですか。でも、そういうことではないんです。

それぞれ違いのある人たちが、違いのあるまま、ともに生きていけるのがインクルーシブな社会。だから、「インクルーシブ社会」と言えば新しい標準の新しい社会になるし、「インクルーシブ公園」と言ったらいままでの公園とはちょっと姿が違う。これまでの健常児向けの公園にプラスアルファするのではなく、一緒に遊べるニュータイプの公園というイメージです。

龍円あいりさんインタビュー

横石 となると、これまでの公園とは別に、まったく新しい公園を作る必要がありますよね。そんな前例がないものをどうやって作っていったんですか?

龍円さん あちらこちらで、日本のどこかにそういう公園はあるかと聞いてみたのですが、「地方の山奥の公園にそういうコンセプトの滑り台があるよ」とか、「昭和記念公園に行くと背もたれのあるブランコがあるよ」など、遊具の単位ではちょろちょろと聞くものの、一からそれを目的に作ったという、モデルとなるような公園はなくて。だから人に説明しても「コンセプトはいいと思うんだけど、どういう公園か全然想像がつかない」みたいな反応なんですよね。

そんな中、日本で唯一そういう公園を熱心に研究されていたのが「みーんなの公園プロジェクト」の方々でした。いろいろ調べていくうちにそのことがわかって、早速コンタクトを取ってお話をし、いろいろ知見をいただいたのが大きかったです。一方、ウェブサイトで「Inclusive Playground」で調べると、世界各国の遊具メーカーがインクルーシブな遊具とかインクルーシブな広場づくりに関するノウハウを公開しているので、私自身はそういうものもリソースにしました。

横石 アメリカは多民族国家で、ダイバーシティ&インクルージョンは当たり前でしょうし、そこに暮らして経験したことも大きいのでしょうね。

龍円さん アメリカではそもそも、スペシャルニーズのある子も遊べる安全基準が、ボトムラインとして法律で規定されているんです。ただ、それを満たすだけだと「ユニバーサル」。そこにプラスアルファの工夫が施されているのがインクルーシブ・プレイグラウンドです。今回は障害のある子とない子ということにフォーカスしてお話ししていますが、インクルーシブ・プレイグラウンド自体はもうちょっと広くて、まだ歩けない赤ちゃんだったり、あるいは逆にご老人だったりも含めて、いろいろな人たちが混じり合って遊べる公園のことを言います。

龍円あいりさんインタビュー

いろいろな子がいることを子どもたち自身が自然と学べる

横石 龍円さんのこだわりの遊具や、ここを見てほしいというところがあれば教えてください。

龍円さん 遊具自体は東京都が熱心に設計してくれたのですが、注目してもらいたいのは、自分に合った遊具を「選べる」ことです。例えばブランコにも3種類あるし、音を出せる遊具も複数あって、それぞれ高さが違うから、小さい子や車椅子に座っている子もアクセスの良いものを選べます。そういう公園って、これまでの日本にはなかなかなかったですよね。

逆に車椅子の子が使える遊具だけにしてしまっても、一般の子からするとちょっとスリルがなくて物足りない。どの子どもにとっても自分に合ったレベルの遊び方ができるし、時には少し背伸びをしたチャレンジもできるというのが、「すべての子どもにとって」になるのだと思っています。

横石 実際に娘と遊びに行ってみたんですが、子株みたいな遊具もあるじゃないですか。大人からすると子株だけれども、子どもからすると……

龍円さん 巨大な洞窟のようですよね。発達障害とか自閉症傾向のあるお子さんは、人が多かったり賑やかすぎたりすると、パニックになることがあるんです。そんな時はあの子株の中のちょっと狭い空間に入ることで、心を落ち着かせることができる。だから、遊具の一つ一つにも意味があるんですよ。バリアフリーなだけでなく地面がゴムチップになっているから、転倒しても安全だったり。そのことによって、歩行器とか車椅子のお子さんでも遊べます。このあいだ行った時は、車椅子ユーザーの女の子が自力で好きな遊具で遊んでいる姿が見られて、すごく嬉しかったですね。

インクルーシブ公園の良いところは、いろいろな子どもが一緒にいることで、子どもたち同士も「いろんな子がいるんだな」と自然に学べることがあると思います。保護者さんたちも「そういう公園なんだな」ということで来ているので、寛容に見守ってもらえますし。スペシャルニーズのある子の親は、特にお子さんが小さいうちは外に出歩くのを嫌がることがあります。そもそも初期の子育ては孤独になりがちなものですが、「ジロジロ見られるのでは」「うちの子はこの公園に来たら迷惑と思われるんじゃないか」などと特に人目が気になってしまって、公園にも行けないし、人に会うような場所にもいけない。

横石 そうすると、本当は人の助けが必要な親子なのにどんどん孤立してしまう。

龍円さん そうなんです。そんな親子にとっては「こういうコンセプトの公園があるんだよ」「ウエルカムなんだよ」と言われると、安心して出てこられて、社会とつながる一歩にもなるのではないかと思っていて。私としては公園で一緒に遊べるということに留まらずに、そこをきっかけとして、インクルーシブな地域コミュニティを作っていくというのが一番の願いであり目標なんです。

横石 実際、スペシャルニーズを持った子どもの親御さんからは「公園で遊べない」という声が多かったんですか?

龍円さん 公園が遊びにくいというのは私自身も感じていたことですが、皆さんそうおっしゃいますね。さらに、重症心身障害児と言われているお子さんや医療的ケアの必要があるお子さんの保護者さんからは「生まれてから一度も公園で遊んだことがない」「自分の子が公園で遊べる対象だと思ったことさえない」という声も聞きました。そのことには私も衝撃を受けて……。だからこそ、あの公園で医療的ケアの必要のあるお子さんが遊んでいる姿を見られたことが、すごく嬉しかったんです。

龍円あいりさんインタビュー

横石 ぼくも、娘には自分と違う人の痛みとちゃんと向き合える人間になってほしいと思うんですが、いまの学校環境ではスペシャルニーズのある子どもたちと出会う機会が多くありません。インクルーシブ公園はその点でとても豊かな場所であり、近くに住んでいて良かったなと、住民として、ある種の誇りさえ感じます。

龍円さん 「みんなのひろば」はまだできて半年ですが、これからあの公園がどう育っていくのか、地域の人たちにどういう影響を与えて、どんなふうに子どもたちが育っていくのかを楽しみにしています。都もコミュニティづくりの大切さは理解してくれていて、運営の一般社団法人TOKYO PLAYさんと一緒に、ワークショップだったり定期的なイベントだったりを開催して、子どもたちが混じり合うきっかけを作りたいと言っています。

今回はできあがってからのコミュニティづくりになってしまっていますが、海外の事例を見ると、設計の段階から地域の人に混ざってもらい、「こんな公園だったら楽しそう」「これだったらみんなで遊べそう」という声を大人からも子どもからも集めるというやり方が多いです。そうすると、公園ができあがった時にはもうコミュニティができている状態になり、「私たちの公園」ということで、その後も積極的に関わってくれる。理想はそういうかたちだろうとも思います。

龍円あいりさんインタビュー

インクルーシブな社会は、みんなにとって生きやすい社会

横石 最後に少し公園から離れて、日本社会全体についても伺いたいのですが、日本におけるダイバーシティとインクルーシブの現状をどう見ていますか?

龍円さん 先ほども触れたように、インクルーシブの意味が理解されていないように思います。この社会は健常者、普通と呼ばれる人たちの社会であって、普通でない人たちをどうやってこの普通の社会に入れてあげようか、という議論になりがちではないかと。本来のインクルーシブ社会はそうではなくて、みんなが違うことを前提にして、それぞれが活躍できたり自分らしくいられたりする社会のことを言います。ですから、「私たちの仲間に入れてやるよ」みたいな健常者中心の考え方を一回取り払って、「みんなが生きやすい社会ってどんな社会だ?」というところから考えていく必要がある。現状はそこのコンセンサスが取れないまま、ふわっと「これからはダイバーシティ&インクルージョンだよね」みたいに、言葉だけが宙に浮いているように見えます。

横石 企業も職場環境や制度を作る際にダイバーシティ&インクルージョンを掲げるんですが、どうしても「健常者の中に」という考え方になりがちです。本来はそうではなくて、「ともに働く」オフィスとはどういうものなのかをゼロベースで考えていかなければならない。そのためにはまず、この感覚を多くの人が共有していることが前提になるわけで、その意味で、オフィスや制度を設計する立場にある人たちにもぜひ一度、インクルーシブ公園を訪れてほしい。

龍円さん いま苦戦しつつも頑張っているのは、インクルーシブ教育の実現です。「これからはスペシャルニーズのある子とない子らが同じ教室でともに学ぶ、インクルーシブ教育だ」というのは、子どもの権利条約や障害者権利条約などに明確に書かれている世界の共通認識ですが、残念ながら日本では、スペシャルニーズのある児童生徒を別の教室や学校に分離して教育するのが主流になっています(東京都の令和元年の現状では、都内のスペシャルニーズのある小学生の91%、中学生の95.1%が分離されて教育を受けている※)。もともとは日本人ならではのきめ細やかな親切心からなのでしょうが、違いのある子どもたちは分けて、その子にカスタマイズされた教育をしてあげようというように、どんどん分離教育が進んでいます。

※出典=東京都教育委員会「インクルーシブ教育システム調査・研究事業報告書」https://www.kyoiku.metro.tokyo.lg.jp/school/document/special_needs_education/report.html

龍円あいりさんインタビュー

横石 そうなんですね。

龍円さん 通常の学級で学ぶ子の周りには健常とされる子しかおらず、逆にスペシャルニーズのある子の周りには健常の子がいないという状態で子ども時代を過ごしてしまうと、一緒に生きていく方法を学ぶ機会が得られません。そのまま社会に出て、いきなり「これからはダイバーシティ&インクルージョンの時代だ。一緒に働こう、ともに生きていこう」みたいに言われても、差別や偏見のある人は少ないにしても、お互いにどう関わっていいかがよくわからないですよね。

健常側の方からすると「手を貸したいけど、どうしたらいいかよくわからない。だったら関わらない方がいいかな」となってしまうし、スペシャルニーズのある方自身も、スペシャルニーズの知識が一切ない一般の人に、どう助けてほしいか伝えることに慣れていないから、なにも言わずに助けてもらえるわけではない社会に出た時に活躍がしにくくなってしまう。いざ一緒に仕事をしようと思ってもうまくいかないので、結局はここも分けておこうとなって、企業の中の特別な部署に分けられたり、作業所が就職先になったり。最終的に生活する場はグループホームになることも多いです。そうすると、小学校1年生の段階で社会から分離されたまま、生涯分離されっぱなしということになります。

横石 こちら側とあちら側に分かれてしまっている。それが日本社会の現状ということですね。

龍円さん 発想を根本から変えて、一緒に学ぶ方向にシフトしていかないと、共生社会の実現は実質的には難しい。公園でも一緒に遊ぶ、学校でも一緒に学び、活動する状態が普通になれば、社会に出て周りにちょっと違う人がいたとしても、「大丈夫、こういう時はこうすればいい」とお互いにわかる。今回はインクルーシブの話として、障害に特化してお話ししましたが、特別なケアや配慮が必要なお子さんはほかにもたくさんいます。性的マイノリティの子や日本語を母語としていない子、社会的養護のもとにあるお子さん、貧困家庭のお子さんなど。それから、さまざまな国際的なバックグラウンドがあるお子さんもいます。いろいろな子どもたちがいて普通、これが社会の縮図だよというのを子どものころから体験していくことで、インクルーシブな社会を担っていく大人に育っていくのかなと思います。

実際問題、「自分が“普通”のど真ん中です」なんて言い切れる人はそんなにいないですよね? 障害があったり、性的マイノリティだったりしなくても、社会から期待される“普通”に自分がうまくフィットできず、生きづらさを感じながら生きている人はいっぱいいる。そこで病んでしまう人だっています。「いろいろな人たちがいて普通だよ」という社会になれば、自分の本来の姿を無理に捻じ曲げて社会にフィットさせなくてよくなります。インクルーシブな社会というのは本来、「みんな」にとって生きやすい社会なんです。自分らしく生きることが普通だよね、というような。

そういう社会を作るには、子ども時代から変えていくことが重要。インクルーシブ公園がその入り口になってくれたらいいな、というのが私の願いです。

(施設情報)
施設名: 都立砧公園内「みんなのひろば」
住所:東京都世田谷区砧公園
利用時間:
・4月1日から8月31日まで 午前9時から午後5時まで
・9月1日から3月31日まで 午前9時から午後4時まで

*最新情報および利用時間につきましては、下記公式サイトよりご確認ください
https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index004.html

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探訪後記 (横石崇・記)

街を歩けば、どこにでもある公園。見慣れたブランコ、滑り台、鉄棒。それがノーマルだと思っていたし、何の疑いもなくこれでいいものだという意識でいた。しかし、その当たり前だった風景にインクルーシブ公園は「公園はこのままでいいのか」と一石を投じることになった。これからは公園が”寂れた場”ではなく、社会をつくりだす場としての役割を取り戻すことになるはずだ。

翻って、オフィスはどうだろうか。コロナ禍において職場から離れて見たときに、職場が寂れてみえたり、何かしらの違和感を感じた人もいるのではないだろうか。オフィスは一部の人たちだけのものになっていないだろうか。オフィスはこのままでいいのだろうか。

私たちの社会においても、インクルーシブな制度や設計に対して無自覚なままで、気づかずに通り過ぎてしまっていることは多い。龍円さんが教えてくれた「みんな」にとって生きやすい社会を実現してくために、場の力が未来に貢献できることはまだまだ残されている。

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