くらし談義

暮らしを美しくデザインする
「いいもの」づくり<1/5>
竹俣勇壱さん 金工作家

加賀百万石の時代から培われたものづくり精神が息づく街・金沢を拠点に活動する竹俣勇壱さんは、オーダージュエリーとカトラリーなどの生活道具を手がける金工作家。「食べる姿を美しく見せる使いづらいスプーン」など、竹俣さんがつくる道具は独自の美学が詰め込まれています。伝統や手工芸といった枠にこだわらず、「自分がいいと思うものづくり」に真摯に取り組み続ける竹俣さんに、ひがし茶屋街にある築200年の町家を改装したお店「sayuu」でお話を聞きました。

PROFILE

竹俣勇壱(たけまた・ゆういち)金工作家。1975年 金沢生まれ。ジュエリー工房でオリジナルアクセサリーの企画制作販売に従事。2002年に独立、アトリエ兼ショップ「anonymousrhythm」をオープン(現在は閉店)。2004年、新堅町にアトリエ兼ショップ「KiKU」をオープン。2007年、オーダージュエリーに加え、生活道具の制作を始める。2012年、ひがし茶屋街に「sayuu」をオープン。2018年秋に金沢市東山に「tayo」をオープン予定。
 

金沢のつくり手とつくった「KUMU」の茶道具

—竹俣さんには、2017年8月に金沢にオープンしたリビタのリノベーションホテル「KUMU 金沢-THE SHARE HOTELS-」で、ティーサロンの茶道具の選定・制作をしていただきました。茶釜といえば丸っぽい形で鉄製というイメージがあったので、竹俣さんが制作なされた直方体でステンレス製の茶釜に驚きました。

茶道で使う茶釜が鉄を鋳造してつくられている理由は、お湯を適温で沸かし続けるのに適しているためです。でも、「KUMU」ではお客様が来るたびにお湯を沸かす必要があるし、鉄の茶釜は手入れに手間も掛かるので、素早くお湯を沸かすことができ、手入れもしやすいステンレスでつくりました。

—使う場や使う人の実用から生まれた形なんですね。他の茶器には、竹俣さんと同じく石川県を拠点に活動するクリエイターの方々と製作なされたものもあります。
 
漆塗りの茶入れは、輪島に拠点を置いて活動している赤木明登さんに製作してもらいました。白い磁器の茶碗は、3Dデジタル技術を使ったものづくりをしている「secca」に製作を依頼したもの。実は底が二重になっていて、熱いお茶を淹れても持ちやすいようになっています。茶杓は、茶人としても知られる戦国時代の武将、古田織部の茶杓をもとに3Dプリンターでつくったものです。竹に比重が近いチタンを素材に使い、重量も再現しました。
 

竹俣さんが選定・製作をした「KUMU」ティーサロンの茶道具は、最先端技術と手工芸、伝統と現代の作家の感性の競演。


—古田織部の茶杓を3Dプリンターで再現! 新旧クリエイターの時代を超えたコラボレーションですね。
 
リビタから今回の依頼があったとき、すべてお任せしますと言っていただいて、だったらすべてを自分でつくるよりは、自分の世界観に近い人たちと一緒にやりたいと思ったんです。僕はもともと、自分だけの個展というのをやらなくて、うつわの作家仲間などと一緒にする二人展やグループ展がほとんど。もともとオーダージュエリーをつくっていた僕が生活道具をつくり始めたのも、作家もののうつわに合うカトラリーをつくりたいという動機からでした。


「自分がつくりたいものをつくる」生き方がしたい
 
—ジュエリーづくりを続けながら、現在はカトラリーなどの生活道具も手がけている竹俣さんですが、金工の道を歩み始めるきっかけは何だったのですか?
 
20歳くらいの頃、ファッションジュエリーに興味を持って、地元・金沢にあったジュエリー工房に弟子入りしたんです。そこではジュエリーのデザインから製作、販売までやっていました。当時はシルバーアクセサリーが大流行していた頃で、そうしたジュエリーを勉強するためにジュエリーをつくる外国の村に滞在したこともありました。
 
そんなふうに、世間で売れているデザインのジュエリーをいろいろ研究してはつくっていたんですけど、自分が身に付けたいと思うものとはちょっと違うなと思って、ある時、好きなデザインでつくってみたんです。そうしたら、全然、売れなかった(笑)。だからまた、売れそうなデザインのものをつくり始めたんですけど、「ここに居たらずっとこのままで、自分が本当につくりたいものはつくれないんだ」ということに気づいて、準備を何もしていなかったのですが、工房を辞めることにしました。

 
 さまざまなジュエリーの製作を経て得た彫金技術の高さと、研究心の深さが伺える竹俣さんの作品たち。


—何も準備をしないまま独立して、仕事はあったのですか?
 
まったくありませんでした(笑)。資金はおろか、道具も持っていなかったんです。当時の僕が持っていた金目のものは、古いヴィンテージバイクだけ。それを買った店に持って行って、かれこれこういう事情だから手放したいと話したら、とてもいい値段で買い取ってくれて。そのお金で道具を買い、6畳一間のアパートで仕事を始めました。
 
—工房が6畳一間のアパート!
 
しばらくはそこで洋服屋のアクセサリーのサイズ直しや修理などをやっていました。友人の紹介などでだんだんとオーダージュエリーの仕事が入るようになったんですが、6畳一間のアパートには来てもらえないので、ファミレスとかで出来上がった品を渡していたんです。でも、若者がファミレスで毎回、何かを受け渡ししている。しかも当時僕は金髪だったので、どう見ても怪しいですよね(笑)。これではいけないと思って、犀川沿いにあった元喫茶店を借りて、友人に手伝ってもらい工房兼ショップにしました。
 
—ついに「自分がつくりたいもの」をつくれる場所を手に入れることに。
 
それが、工房兼ショップと言っても、中身は工房と商談テーブルだけ。お金がないので、つくりたくてもつくれないんです。そんなときにアンティークジュエリーの修理の仕事をもらうようになりました。
 
実は、アンティークジュエリーの仕事は、僕らの業界では「やりたくない仕事」なんです。値段が高い上にアンティークなので代わりがきかない。つまり、失敗が許されない。それだけに仕事の単価は良くて、当時の自分にとってはありがたかったんですが、気づくと仕事はそればかりになっていました。
 
そんなとき、300万円するアンティークジュエリーの修理で、危うく失敗しそうになったんです。結果的にはなんとか修理できたんですが、ものすごく肝を冷やしました。それをきっかけに、その仕事から足を洗いました。僕がやりたかったことはこれじゃない、ちゃんと、「自分がつくりたいものをつくる」仕事をしよう、と。
 
犀川沿いの工房兼ショップはお客さんが来にくい場所だったこともあり、新竪町商店街に移転しました。それが、『KiKU』です。
 
—『KiKU』は町家をリノベーションしたお店だそうですね。
 
『KiKU』を構えたのはちょうど金沢21世紀美術館がオープンした年で、金沢には県外からたくさんの人が来るようになっていました。町家ショップみたいなものも注目され始めた頃で、県外のギャラリーの人や百貨店の人も来てくれるようになって取引が増え、やっと「自分がつくりたいものをつくる」仕事が軌道に乗り始めました。



金沢市の新竪町商店街にある「KiKU」。商店街は「骨董通り」とも呼ばれ、古美術の店やギャラリー、雑貨店などが並びます。