豊かに暮らすひと

人と場に楽しさを届けるエンターテイナーなお弁当屋さん<2/5>
山本 千織さん
chioben(チオベン)料理人

「人との縁」から生まれ、広がっていった『チオベン』
—東京に来て、どんなお店を手伝っていたのですか?
代々木上原にあるブータン料理店で手伝いをすることになりました。その店は夜だけの営業だったので、「空いているお昼の時間に北海道でやっていた定食を出したい」と言ったら、「やっていいよ」と言われたので、ランチ定食を出していました。
ランチを食べに来たお客さんに「ブータン料理って食べやすいんだね」と言われて、「いえ、これは日本食です」と説明しながらやっていました(笑)。
—ブータン料理屋で日本食が出てきたら、たしかにお客さんは混乱しますね(笑)。
でもそのあと、ブータンから料理人が来ることになって、私は辞めないといけなくなったんです。そうしたら、ブータン料理店の向かいにあったバーの店長が、「営業していない昼の間、場所を貸すよ」と言ってくれたんです。ただ、バーなので料理を出す食器が無くて、バーの店長が「弁当箱で出したら?」と提案してくれたんです。
—それが『チオベン』の始まりなのですね!
そうなんです。『チオベン』には仕切りが無いとよく言われるのですが、もともとワンプレートランチとしてお弁当箱を使っていたからなんです。
そうしてランチを始めたものの、全然知られていないから、毎日数人の友達が来てくれるだけでした。みんなその場で食べていくから、弁当箱の蓋ばかりが残っていました(笑)。

手際よく詰められていくお弁当たち。『チオベン』のお弁当は仕切りが無く、固形のおかずとご飯がぎゅっと詰まっている。
—そんな始まりだった『チオベン』が、どのようにして雑誌やテレビの撮影現場で人気のお弁当になっていったのですか?
そのバーの近所で働いている雑誌の編集者がランチを食べに来てくれて、「現場にお弁当を持ってきてほしい」と言われたのが最初でした。
代々木上原は、フリーランスの編集者やライター、カメラマン、アパレル関係の人が多く住んでいる土地柄なので、「あの店でお弁当をやっている」と口コミで広がって、お弁当を撮影現場に仕出しする機会が少しずつ増えていきました。撮影現場でお弁当を食べた人が、「次はこっちの現場にも持ってきて」と依頼してくれるようになって、注文が増えていきました。
『チオベン』という名前は、当時のお客様が私の名前「千織」と「弁当」を組み合わせて言い始めたものでした。
—料理人になったことも、東京で『チオベン』を始めたことも、人の縁が大きなきっかけだったのですね。
いろんな出会いに恵まれ、まわりの方々に助けられてきました。『チオベン』も、最初に注文してくれたお客様たちが発信力の強い方たちだったので、名前を広めてもらえました。
ただ、もしも失敗したらすぐに悪い評判が立って終わってしまうかもしれないという緊張感は、常に持っています。逆に、きちんとやれば良い反応があることも分かったので、反応をちゃんと見て、改善が必要ならすぐに改善に取り組んで…その繰り返しです。
もともと雑誌や本が好きだったので、それらが生まれる現場も好きになりました。たくさんの人でひとつのものをつくっていく雰囲気が好きだし、現場でみなさんが一生懸命に働いている姿を見るのも好きなんです。撮影現場は、たくさんの刺激がもらえる、とても好きな場所です。

代々木上原の静かな住宅街にある『チオベン』のアトリエ。お弁当は予約制で、アトリエでの受け取りも可能だそう。
—現在、『チオベン』作りのアトリエとしているこの一軒家も、素敵な場所ですね。
注文数が増えてきて、前の場所のキッチンは狭かったので引っ越したんです。代々木上原から広がったご縁なので、同じエリアで物件を探して、この平屋建ての一軒家を見つけました。
—庭がキッチンの借景になっていて、木漏れ日が入ってくる、とても気持ちのいいアトリエです。アトリエづくりでこだわったのはどんなことですか?
まずこだわったのは、窓から見える広い庭でした。「YAECA HOME STORE」の庭も手掛けたグラフィックデザイナーの黒田益朗さんにお願いして、「適度な鬱蒼感」をテーマに庭をつくってもらいました。
あとは、お弁当箱をたくさん並べられる広い作業台のあるキッチンと、そのキッチンを舞台のように眺められるように、半階上がった部屋の襖をガラスに変更しました。元からあった古いキッチンもそのまま使っています。自分が出せる資金の範囲内で、理想のキッチンがつくれたと思います。

庭からの木漏れ日が入る気持ちのいいキッチン。庭に植えたハーブ類を摘んで、お弁当に使うこともある。
—東京に来て、どんなお店を手伝っていたのですか?
代々木上原にあるブータン料理店で手伝いをすることになりました。その店は夜だけの営業だったので、「空いているお昼の時間に北海道でやっていた定食を出したい」と言ったら、「やっていいよ」と言われたので、ランチ定食を出していました。
ランチを食べに来たお客さんに「ブータン料理って食べやすいんだね」と言われて、「いえ、これは日本食です」と説明しながらやっていました(笑)。
—ブータン料理屋で日本食が出てきたら、たしかにお客さんは混乱しますね(笑)。
でもそのあと、ブータンから料理人が来ることになって、私は辞めないといけなくなったんです。そうしたら、ブータン料理店の向かいにあったバーの店長が、「営業していない昼の間、場所を貸すよ」と言ってくれたんです。ただ、バーなので料理を出す食器が無くて、バーの店長が「弁当箱で出したら?」と提案してくれたんです。
—それが『チオベン』の始まりなのですね!
そうなんです。『チオベン』には仕切りが無いとよく言われるのですが、もともとワンプレートランチとしてお弁当箱を使っていたからなんです。
そうしてランチを始めたものの、全然知られていないから、毎日数人の友達が来てくれるだけでした。みんなその場で食べていくから、弁当箱の蓋ばかりが残っていました(笑)。

手際よく詰められていくお弁当たち。『チオベン』のお弁当は仕切りが無く、固形のおかずとご飯がぎゅっと詰まっている。
—そんな始まりだった『チオベン』が、どのようにして雑誌やテレビの撮影現場で人気のお弁当になっていったのですか?
そのバーの近所で働いている雑誌の編集者がランチを食べに来てくれて、「現場にお弁当を持ってきてほしい」と言われたのが最初でした。
代々木上原は、フリーランスの編集者やライター、カメラマン、アパレル関係の人が多く住んでいる土地柄なので、「あの店でお弁当をやっている」と口コミで広がって、お弁当を撮影現場に仕出しする機会が少しずつ増えていきました。撮影現場でお弁当を食べた人が、「次はこっちの現場にも持ってきて」と依頼してくれるようになって、注文が増えていきました。
『チオベン』という名前は、当時のお客様が私の名前「千織」と「弁当」を組み合わせて言い始めたものでした。
—料理人になったことも、東京で『チオベン』を始めたことも、人の縁が大きなきっかけだったのですね。
いろんな出会いに恵まれ、まわりの方々に助けられてきました。『チオベン』も、最初に注文してくれたお客様たちが発信力の強い方たちだったので、名前を広めてもらえました。
ただ、もしも失敗したらすぐに悪い評判が立って終わってしまうかもしれないという緊張感は、常に持っています。逆に、きちんとやれば良い反応があることも分かったので、反応をちゃんと見て、改善が必要ならすぐに改善に取り組んで…その繰り返しです。
もともと雑誌や本が好きだったので、それらが生まれる現場も好きになりました。たくさんの人でひとつのものをつくっていく雰囲気が好きだし、現場でみなさんが一生懸命に働いている姿を見るのも好きなんです。撮影現場は、たくさんの刺激がもらえる、とても好きな場所です。

代々木上原の静かな住宅街にある『チオベン』のアトリエ。お弁当は予約制で、アトリエでの受け取りも可能だそう。
—現在、『チオベン』作りのアトリエとしているこの一軒家も、素敵な場所ですね。
注文数が増えてきて、前の場所のキッチンは狭かったので引っ越したんです。代々木上原から広がったご縁なので、同じエリアで物件を探して、この平屋建ての一軒家を見つけました。
—庭がキッチンの借景になっていて、木漏れ日が入ってくる、とても気持ちのいいアトリエです。アトリエづくりでこだわったのはどんなことですか?
まずこだわったのは、窓から見える広い庭でした。「YAECA HOME STORE」の庭も手掛けたグラフィックデザイナーの黒田益朗さんにお願いして、「適度な鬱蒼感」をテーマに庭をつくってもらいました。
あとは、お弁当箱をたくさん並べられる広い作業台のあるキッチンと、そのキッチンを舞台のように眺められるように、半階上がった部屋の襖をガラスに変更しました。元からあった古いキッチンもそのまま使っています。自分が出せる資金の範囲内で、理想のキッチンがつくれたと思います。

庭からの木漏れ日が入る気持ちのいいキッチン。庭に植えたハーブ類を摘んで、お弁当に使うこともある。