くらし談義

植物の力を感じながら、
一日一日を全力で生きる。<1/5>
壱岐ゆかりさん 「THE LITTLE SHOP OF FLOWERS」オーナー

原宿駅の近く、木々が茂る一軒家の軒先に、壱岐ゆかりさんがオーナーを務める「THE LITTLE SHOP OF FLOWERS」はあります。店頭にはニュアンスある色味の花が並び、枯れる過程も楽しめるブーケなど新しい花のかたちを提案しています。日本と海外を繋いでPRをする爆速の人生から一転、出張先で出会った自己流の花屋に触発されて、現在は植物に囲まれた暮らしを送る壱岐さんにお話を聞きました。

PROFILE

THE LITTLE SHOP OF FLOWERS」オーナー/フラワープランナー。アメリカの大学を卒業後、インテリア会社へ就職。PR業のかたわら花屋をオープンし、現在はレストラン「eatrip」と併設する店舗のほか、「6 BEAUTY&YOUTH」へも出店している。オーダーメイドのほか商業施設などのスタイリングも手がける。花屋の持つフェミニンなスタイルとは一線を画すユニセックスなアレンジメントが人気。

「時差を感じさせない人」で勝負してきた
 
— お花屋さんは子どもの頃、多くの人が憧れる職業だと思います。
 
私も幼稚園児のときは、お花屋さんになりたいと言っていました。たぶん、それしか知らなかったのだと思うのですが。小学生からは、なりたい職業がなくて、自分は何になりたいのだろうと考え続ける混沌とした時代が続きましたね。
 
— それでも壱岐さんは、以前はインテリアやアパレルブランドのPRとして活躍されていたと聞きました。PRのお仕事に就くまでの経緯を教えてください。

私の性格上、プレス業が得意なほうではないのです。社交性がないし、それを変えることもなかったので、自然とPRになっていたというほうが近いです。

もともと、アメリカの大学を卒業して日本に戻って、インテリアの会社に就職しました。英語が通じたので、外国人デザイナーの担当になって、ものづくりをする人と販売の間でコーディネートをする仕事を8年間しました。その仕事をしていくうちに、ものづくりをする人の気持ちを汲み取って引き立てることがとても好きになったんです。

会社から離れた後に縁があってそのデザイナーたちが私のところにきてくれて、私は彼らの作品を置いてくれるショップを探したり、宣伝してくれる人のいるお店を見つけたりしていました。この仕事をまとめて、PRと言ったということです。どんな呼び方であれ、ものづくりをする人たちの気持ちを伝えるのが楽しかったですね。

アメリカの大学を卒業後、インテリアの会社に就職した壱岐ゆかりさん。最初にものづくりの会社に入ったことが、その後の仕事観を変えたようだ

— 会社から離れてデザイナーや彼らのブランドを抱えることに、不安やプレッシャーはありませんでしたか?
 
いつ、さよならが来てもおかしくないんじゃないか、とは思っていましたね。海外にいても、日本で気持ちを伝えてくれる人は多くいるから、それでも私に頼みたいと思ってもらうためにどうしたらいいのか、と常に不安でした。
 
そこで思いついた私でもできる方法が、いつでもすぐに連絡がつく人になること。もしも自分が、日本でつくったものを違う国で売るときに、8時間後にしか連絡が取れないというのは嫌だなと思って、私はいつでも、あなたの側にいるという立ち位置を全うしました。作品について、今、この熱を伝えたいんだというときに、パッと連絡ができたほうがいいし、PRに長けている人は他にいるから、私は「時差を感じさせない人」で勝負しようと思いました。
 
— 体力勝負ですね!
 
そのときは、まだいけたの(笑)。徹夜も大丈夫だったから、そこでなら勝負できると思って。
 
ものづくりをする人のテンションと熱が伝わるくらいに近いタイミングで話せるから、デザイナーがやりたいことを理解できました。そのときの私は、デザイナーの熱量が伝わる人だったと思います。
 
— そこまでの情熱を持って仕事に取り組む、そのモチベーションは何だったのでしょうか?

お金や時間が無いことも、食事をとる時間がないことも、それが無いことに気がつかないくらいに、仕事が楽しかったんです。それは、ものを作り上げる人が、私の知らないこととか、コンセプトに基づく歴史などを生き字引のように教えてくれて、それを学び取っている感覚が楽しかったのだと思います。

いろんな人から、ものづくりの方法や国による考え方の違いを直接学べる贅沢で恵まれた環境でした。今思うと、ものづくりをする人と一緒にいることが、私の仕事の原動力でしたね。

大きく育った木々に囲まれている「THE LITTLE SHOP OF FLOWERS」。木と木の間を分け入っていくように小道を進むとお店が現れる